愛と幻想のアジャイル

道産子ソフトウェアエンジニアの技術メモ

「フラットさ」という組織改革

ピラミッド組織から、フラットな組織に変化する企業が増えていると感じる。

例としてソニックガーデン社のような、中間管理職を置かない企業が出てきている。
 

 

でも企業がスケールしていくと、フラット組織は回らなくなりやすいと感じる。
 
当たり前で、社長の下に社員が全員ぶら下がるような形態では、社員一人一人に目が行き届かなくなるのだ。
 
だから、管理職がいない組織を運営するには、社員一人一人が自己管理し、自発的に指示なく動ける能力が必須になる。
 
しかし現実、仕事が山のようにあれば、そういう人材だけを採用するのは難しい。
すると、自己組織化できない社員が増える。すると、「指示が欲しい」という不満が出てくる。
 
そういう状況で「うちはフラット組織だから」と言って、組織改革をしないでおけば、指示が欲しい人材は去っていく。
 
その問題を解決する発想として「フラットさ」を提唱したい。
 

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フラットを提唱して管理職を置かないのは、フラットが目的化されてしまっている。
 
でもフラットは手段なのだ。
自己管理できて、自発的に行動することで、管理コストが減り、組織の歯車ではない内発的なモチベーションを社員が持つことで、仕事の成果を最大化することが目的なのだ。
 
だから、フラットと言って、全社員を並列にする必要はない。
管理職がいても良いのだ。
要は、管理職が多段構造となっていて、トップの考えが末端まで伝達されるまでの、伝言ゲームや手続きが長くなりすぎるのが、ピラミッドの問題だ。
 
なので、可能な限り、管理職の段階を減らすというアプローチがあるはずだ。
 
それを自分は「フラットさ」と呼ぶ。
 
0か1ではないのだ。フラットかピラミッドかではないのだ。
 
10階層あるより、3階層の組織なら「フラットさ」が高いと言えるだろう。
 
手段を目的にしてはならない。
そう考える今日この頃です。