生成AIが出てきてから、長い文章を目にする機会が増えた気がする。自分も作っている自覚がある。いわゆるAIスロップというやつだ。
読む側に文章のレビューをそのまま丸投げしているようなもので、相手の認知負荷を増やしている面がある。そこはかなり気をつけた方がいいと思う。
でも厄介なのはここからだ。一度ドキュメントをAIに生成させると、「これくらいなら出してもいいか」の閾値がじわじわ下がってくる。
割れ窓理論に似ている気がする。割れた窓を放置すると、その建物全体が荒れていく。最初の一枚が割れているだけで、次の一枚を割ることへの抵抗が減る。
ドキュメントも同じだ。一度雑なものを世に出すと、次はもっと雑でも通ってしまう。妥協が妥協を呼んで、気づけば「まぁこれでもいいか」が基準になっている。
かといって、生成させずに全部手書きに戻すのも現実的じゃない。もう後戻りはできないんじゃないだろうか。
折衷案として考えられるのは、生成物だと分かるようにしておくことかもしれない。これはAIで作った、著者本人も完全には理解し切れていない文章です、と最初に伝える。そうすれば読む側も、そのつもりで頭を切り替えて読める。
閾値そのものは下げないまま、扱い方だけ変えるということだ。窓は割れてしまうかもしれない。でも割れた窓だと分かるようにしておくことはできそうだ。



